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死して、そして生まれきたるものへ

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2012.09.05 Wednesday

簡潔な故に浮かび上がるもの〜伊藤多喜雄 / PING

伊藤多喜雄/PING このところ自分の原風景(原体験)を探る作業をしていて、それは同時に、果たしてそれは日本人として同じような精神構造を成すものなのかと問いかけともなっている。間章は伝承された芸能にも等しく興味の目を向けていたが、原風景については「越後の瞽女唄」のライナーノートでも触れている。
 伊藤多喜雄が新作につけたタイトル「PING」は“ひとり”という意味の言葉だ。このアルバムは“うた”の原点に立ち返るべく6人の奏者とのデュオで織り成されている。
 元来民謡というものは海山川、田畑その他の仕事と深く関わり、多くは櫓が軋む音、牛馬の鈴やひずめの音、共に作業をする人々の掛け声など楽器のない場所で生まれ、その場にある物音や風景に育まれてきたものだ。門付などそれそのものを生業とする歌われ方や、宴の席などで奏でられる座敷唄や音頭など楽器を伴うものはむしろ例外なのである。そしてそれはひとりでの場で唱われることは多くない。民謡とは人と人との交わりの中から生まれてきたものだからだ。そうした成り立ちを踏まえ、“うた”とそれに伴うものと対峙し骨格のみとなって顕わされる、その髄を描き出した作品だ。
 この数年における多喜雄の“うた”には明らかな深層部での変質を感じる。おそらく岩手の寒村野田村に「ソーラン節」の源流を見出すべく拠点を作ったことと無関係ではないだろう。加えて「南部牛追歌」という命に関わる塩と、その流通路にまつわる唄の原点を肌で感じとり、表面的にはわからずとも内側から伝えられるものがより深く刻み込まれたのであろう。それらが本質を変化させているのはないだろうか。民謡においてデュオといえば三味線や尺八との組み合わせとなるのが常道であるが、それを脱してサックス(坂田明)、和太鼓(林英哲)、ドラム(村上“ポンタ”秀一)、オカリナ(宗次郎)、ピアノ(佐山雅弘)、フォークソング(友川カズキ)との対峙としたことで、民謡という枠を超えて“うた”としか名付けようのない作品になっている。そこには民謡ではないもの(友川カズキとの「おとうと」)と新民謡「東京音頭」、原型からかなり崩した友川との「新・乱れドンパン節」が加わっているのではあるが、それらは伊藤多喜雄の“うた”をとおして民謡の在り方と“うた”そのものの独自性が不思議にも一体となって保たれている。このアルバムをもって伊藤多喜雄はワン・アンド・オンリーな存在になったといえよう。

追記:友川カズキとの「おとうと」はPCはじめ小口径のスピーカーではミックスの意図するところを表現出来ないと思われる。なるべく中低音部がはっきりし、高音部も表現出来る環境で聴いていただきたい。
(2012年9月5日初稿)
JUGEMテーマ:音楽 三味線・民謡

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