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死して、そして生まれきたるものへ

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2014.01.01 Wednesday

2014年年頭・感

 既に3冊での刊行が予定されている間章著作集の第1集『時代の未明から来たるべきものへ』および第2集『〈なしくずしの死〉への覚書と断片』が世に出ているので今更とは思うのだが、さて一体この著作を世に問う意味がどこにあるのかと考え続けている。当り前だが死後35年での集成である。字義通りに著作を捉えることは勿論のこと、それが現在と何がどのように繋がっているのか問い直されなければ、明確に批評というものは屍となるだろう。刻々と評価軸は変容し掴み処のないものでもあるのだが、それを避ければ避けるほど益々視界が閉ざされているばかりだと感じる。やはり曲折、迂回が起ころうとも模索し続けねばというところなのか…。

 2013年はここのブログをまったく公開しなかった。生来のずぼらさとそうした迷いのためとしておきたい。
(2014年1月1日)

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2010.01.05 Tuesday

序として:今、あるいは既に、起きていること…

 既に危機は起きているのかも知れない。
 そのことがまざまざと感じられたのは2007年ジャズ論壇に“清水俊彦の剽窃問題”なる論争(というよりも意図して提示された騒ぎとでも呼ぶのが相応しいのではないかと思う)がその死後程なくして(再び)立ち起こったことによる。この騒ぎの本質、そして結末は愚にもつかないものではあったのだが、それ故この日本のどこに、その意図、その質等々、様々な背景を含め、最早批評なるものが死に絶える寸前、或いは既に死んでしまっているのではないかと深く感じたものである。
 さてさてここでいったい何故映画の公開後3年余りを経て、このような物言いを公開するに至ったのかというと、ひとつは映画の企画が立ち上がりそして公開されるまでの間に湧き起こった隠世感にまとわり付かれ、まさしく天に向って唾を吐くが如き行為について、個人的な嗜好を除いては比し評する行いから遠ざかっていたことがひとつ(他者に対して思考の欠片を呈することが憚られてならなかったのである)。それがようやく癒えたような心地になったからであり、またその批評の死ともいうべき事件にひどく憤り、それが一時の怒りではない別の想いに転化され、本当にどうにかならないものかと考え始めたからである。
 ここからようやっと『AA』のことに入る。この極私的物言いの場では“間章のこと”には余り深く掘り下げることも、またその人自体についても多く触れることはないのではないかと思っている。つまり“間章のことやその文章”などを知ったところで本質的に『AA』という作品を知ったことにはならない。単に“知った”だけでは、字義通り情報が蓄積されたに過ぎず、いたずらに無意味な間章の神話化・神格化を行い、もしくはそれを補強するに過ぎないからだ。少なくともそうした無益な神の創出は避けるつもりではある。しかしながら一旦、いつかは誰かが『間章』をマテリアルとしてものを語り、評することが行われるのは想像の範囲ではあった。それが呈示された後、ただそのままに放置しておくことは、それこそ神話化し、増強する行いではないかと感じ、ここに余計な物言いを始めようとしたのである。
 結局のところ、まだまだ右往左往してみたいと思っているだけなのかもしれない。
(2010年1月5日初稿)

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